こんにちは。久保ゆきこです。
「わが子には、私と同じ後悔をさせたくない」 親なら誰しも、一度はそんな風に思うのではないでしょうか。でも、その「良かれと思って」が、実は子どもの自立を阻む「見えない足かせ」になっているとしたら……。
今日は、あるご友人の衝撃的なエピソードと、現在受験生の息子を持つ私自身の気づきを分かち合いたいと思います。
名門大学合格、その後に届いた「一通の封書」
私の友人の娘さんは、学力優秀で、母である友人が心から望んだ「関西の名門大学」に見事合格しました。友人は、かつて家庭の事情で大学進学を諦め、短大へ進んだ過去がありました。「娘には、私が行けなかったあの世界を見せてあげたい」。その一心で、塾の送迎やサポートに心血を注いできたのです。
しかし、バラ色の大学生活を送っていると信じていたある日、大学から一通の封書が届きます。 『現在休学中ですが、復学しますか?』
驚き、娘を問い詰めると「学校に行く気はない」との答え。一度は無理やり復学させたものの、1年後、再び同じ封書が届きました。娘さんは、親に内緒でアルバイトをしながら、本当に自分が学びたいことのために別の道を歩み始めていたのです。
「手段」が目的になっていませんか?
この親子に何が起きていたのでしょうか。 友人は「名門大学合格」という手段(箱)をゴールにしていました。かつての自分が大学に行きたかった「本当の理由(どうありたかったか)」を見つめる代わりに、「学歴さえあれば安泰だ」という形に執着してしまったのです。
一方で、娘さんは「親の期待」に応えて頑張り抜きました。けれど、いざ合格してみたとき、そこに「自分のありたい姿」がないことに気づいたのでしょう。
皮肉なことに、親が一生懸命つけさせた学力と考える力が、娘さんに「親のひいたレールを降りて、自分の道を行く」という決断をさせたのです。
「答え」を奪ってきた私自身の反省
この話を聞きながら、私は今まさに受験生である自分の息子の姿を重ねていました。 私の息子は、息子にとって、あえて難しい「AO入試(面接試験のみ)」に挑もうとしています。
彼は極端に面接が苦手。
面接が苦手な理由は私にあるかも。
今まで、質問されると黙り込んでしまう彼を見て、私はつい口出しをしてきました。
「こういうこと?」「AとBどっち?」 彼が考え抜く時間を奪い、答えやすい選択肢を差し出してきた私の関わり。
それが、彼の「自分で言葉を紡ぐ力」を奪っていたのではないか……。今、猛烈に反省しています。
大切なのは、どの箱に入るかではなく「どうありたいか」
大学選びも、面接への挑戦も、すべては「どうありたいか」という未来のための通過点に過ぎません。
親ができることは、先回りして正解を与えることではなく、子どもが「自分はどうありたいのか」をじっくり考えるための余白を守ること。そして、たとえ親の期待とは違う道であっても、その選択を尊重することではないでしょうか。
今日の「整え」ワーク
お子さんに対して「こうしてほしい」という思いが湧いたとき、一度立ち止まって自分に問いかけてみてください。
「それは子どもの望み? それとも、私の『やり残したこと』の穴埋め?」
もし後者なら、その思いをそっと横に置いて、お子さんにこう聞いてみてください。「あなた自身は、どんな未来を描いていきたい?」



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